他人には喜劇という悲劇
はっきり認識しよう。ハゲは悲劇である。
冗談にならないほど悲劇である。それは人間が社会的な動物で、その社会の中で無意識の内にも順位をつけたがる生き物だからだと私は思う。人間という生き物はいつも丈比べ(たけくらべ)をしてしまう生き物だと思うからだ。
例えば、こんなことがあったとしよう。
キミは同年代の男性と初めて出会う。まずはルックスを見る。なんとその彼はタレントの速水もこみち君のようではないか。身長は180cmを優に超え、そのモデルのようなボディバランスは見事だ。その上二枚目である。すると自分の中で、無意識の内に比較が始まってしまう。負の数ポイントを自分に加算してしまうのだ。
次に会話を始める。いろいろと話を続けると知識の質と量、破綻だらけで脈絡のないロジック、面白みとセンスに欠けるその内容…。だんだんと会話のペースは自分のものとなり、微妙に自分の方が教えてあげるというスタンスに立ち始める。自分にプラス点の加算がなされていくのだ。(もちろんそんなことは意識には上らない)
しかし更に会話を続けていくと、相手はスポーツエリートだということがわかる。何とバレーボールでオリンピック出場を目指した選手だということがわかったのだ。オリンピック出場を目指したことにより、海外の実情にも目を開かれた彼は、その後、ボランティアで外国の地震被災地に行き救援活動を行ったり、少ない給料から毎月一万円を海外未就学児の教育ボランティアに献金しているらしいのだ。
彼に対する尊敬の念が湧き始めると共に彼にはプラス、自分にはマイナスのポイントが加算され……
ちょっと誇張しすぎたかもしれないが、多かれ少なかれ、このような比較を人間は日々行っている。無意識のうちに順位付けをすることである種の秩序が生まれ、その秩序が社会を形成するベースを作っているのだ。(と思う。違っていたらすみません)
ハゲという事実は、決定的にマイナスポイントとなる。つまりハゲという事実があることで相対的に自分の順位は下がり、他人は前に上がっていく、そんなイメージだ。
他人にとってはおいしいことと言えるかもしれない。自分にとっては悲劇以外の何者でもない。
はっきり認識しよう。ハゲは悲劇である。
冗談にならないほど悲劇である。しかし病気や怪我、その他の悲劇と決定的に違っているのは他人にとっては喜劇だということだ。そのことがまた、当人にとっての悲劇性を増す原因にもなっている。
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