髪は失くしても、それが他の大切なものを失くす理由になってはならない。
髪を失うことで、ある種「喪失感」を大いに味わっている人もいることと思う。「喪失感」…文学のテーマのように深遠だ。他にも失われいくアマゾンの緑地という報道に、ひとかたならぬ危機感を感じたりして、ハゲの効能のひとつである。
ハゲることが恐ろしいのは、何かを失うのではないかと思えるからかもしれない。例えばハゲることで恋人を失うのではないか。或いはもう誰も自分を好きになってはくれないのではないかという、恋愛の機会や恋愛の成就自体を失うのではないかという思いだ。
そのことは確かに恐ろしく、そのために少しでも早くこのハゲという危機を脱したいと願う場合もあるだろう。そして育毛、増毛、植毛、カツラなどなどさまざまな対症療法を試すことになる。
そのこと自体を否定するものではないが、そこには大きな経済的負担が発生する。特にお金持ちならば問題はないが、ほとんどは若く、学生やフリーター、もしくは普通のサラリーマンだったりすることが多いわけで、育毛貧乏になることさえ考えられる。
(これは中年に差し掛かって初めてわかることなのかもしれないが、ハゲることで失う恋人は辛くはあるが、惜しいものではない。万一ハゲたことで破談になった結婚があったとしたら、結婚前にわかって不幸中の幸いだったと言えるはずだ。結婚しないで済んでラッキーとしか言いようがない)
私がここで忠告したいのは育毛でお金を失うことだ。お金で全てが買えるとは全く思っていないが、資本主義の世の中ではお金は権利を行使できるチケットの役割を持っている。お金がないと自由に行動する権利を失ってしまうことになる。学習したり、移動したり、若いにも関わらず体験するということ自体ができなくなり、自分への投資もできなくなるということだ。
大金を必要とする育毛コースやカツラなどには注意してほしい。カツラを買ったら後はもう何もできなくなる、ということではあまりにも悲しい。またこの世界には限りなく騙しに近いビジネスが多いと感じているのだ。大金だけを取られて何も残らなくなる、ということのないように。
髪はなくしても、それが他の大切なものをなくす理由になってはならないのだ。